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Japan Culture

2020.02.26 | 建築

私の好きな”かたちと風景” ⑯三鷹 大沢の古民家

私の好きな “かたちと風景” ⑯ 三鷹 大沢の古民家

三鷹市の野川沿いの野川公園近くには、大沢の里古民家と水車経営農家の2棟の古民家が保存されている。今、この古民家が地域で注目されている。このうちの大沢の里古民家は、頻繁に行われるイベントが地域で注目されている。東京都市部で、地域の様々な世代の関わり合える場所は数少なく、ここでのイベントは老若男女問わず集まることもあり、古民家は地域交流の場となっている。イベントは、繭玉クラフトやお茶の木を植えるイベント、建築史講座やしめ飾りつくり講座、昔遊び、番傘作り、朗読会、音楽、怪談など多様である。筆者も茶の文化や自家製の番茶の世界、お茶を持ち運ぶことの歴史などの講座と講習をこの古民家で4回担当した。

大沢の里古民家は、明治35年竣工の小規模な農家建築で、整備工事を経て平成30年に一般公開された。間取りは、部屋が前後に二室、計四室になる田の字型と呼ばれる形式だが、基本形とは少し違う。民家は、南側を正面にするのが基本だが、ここでは広い間口を東西に向けている。東側には緑地帯の斜面があり、古民家と斜面の間にはワサビ田があった。四室のうちの広い二室は、ワサビ田側に南北に並列し縁側があるので正面は東側になる。また、この時代にはほぼ例外なく備えられていた床の間がない。南東側の部屋は、田の字型では客を迎える座敷に相当するが、ここでは東と南側は縁側と接続し、北と西側は部屋に接続するので、壁沿いとなる床の間が置けない。南側は、間口は狭いが障子戸で開放されている。おそらく、ワサビ田を庭と見立て、ワサビ田に沿って広い部屋を並べたが南側からは採光を得たい。そのためには、南側も開口部とする必要がある。その結果、床の間を備える壁がなくなってしまったということだろう。古民家の配置が南に向けられるにも関わらず東西となったのは、東のワサビ田から西の野川に向けて、水を流すこととも関係したのだろう。

農業が生業の中心であった時代には、建物が生業に左右されることは良くあることである。この民家は土間が小さいが、大正昭和に入ると東北などの民家でも土間が小さくなっていく。生活や生業の技術が変化し、作業空間の土間も小規模化するのである。馬や牛を飼わなくなることも理由の一つである。この点では、この家では明治後期には土間を使う作業は減っていたのだろう。

小さな古民家だが、新しい建物では経験できない魅力にあふれている。
 
 
 
 

 

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役
二村 悟 Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか
静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。
主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010
花野果 HANAYAKA https://tatemonoxxx.amebaownd.com/

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