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Japan Culture

2019.08.27 | 建築

私の好きな ”かたちと風景”⑩合資会社 川茸元祖遠藤金川堂 福岡県朝倉市

私の好きな “かたちと風景 ”
⑩合資会社 川茸元祖 遠藤金川堂 福岡県朝倉市

筆者は、食が作る風景を紹介した『食と建築土木』(LIXIL,2013)を書いているが、縁あって、川茸(学名:スイゼンジノリ)という川海苔の一種に出会うことができたので、川茸が構成する文化的な風景を紹介したい。

遠藤金川堂は、江戸中期に先祖が川苔を発見し、後に板状に加工する製法を確立し、江戸後期から幕末にかけては秋月藩の財政の一部を支えた産業である。遠藤家はもとは武家だが、川茸を藩の財政を支える事業を担うことになり、生産家に転じたという。

まず目に付くのは、川茸で財を成した御殿(主屋)である。明治初年頃、重要伝統的建造物群保存地区の秋月の城下町から、南方に直線距離で7~8km離れた現在地に移住し、本格的な生産を開始した際に建てられた住宅である。これ以前は、城下から通っていたという。正面は、入母屋の妻面を見せて化粧とし、式台玄関を中央に配して、右に御成門を模した門と塀で庭を仕切り、左に店舗が設けられていた。庭も当初の状態が維持されているという。興味深いのは背面である。店舗は、背面の一部まで屋根を出桁として格式を高めているが、背面の壁面上部には亀甲模様、戸袋にも装飾が施されている。

庭の端には稲荷が鎮座する。稲荷と脇に建つ薬医門は、城下にあった遠藤家の武家屋敷から移築したものと伝えられる。稲荷は、移築時に覆い屋をかけて、鞘堂保存の方法としている。土蔵も一見の価値がある。水害を除けるために花崗岩を高く積み、半円アーチに加工して床下換気を確保する秀逸さである。

徒歩10分ほどの場所に川茸を採取する場所がある。十数年前から日差しが強くなり、川茸の日焼けを防ぐ意味で寒冷紗を掛けるようになる。川を良く見ると、草が川幅、横一列に植えられている。かつてはこの草に川茸が掛かり、それを採取したのだという。

採取した川茸は、主屋脇の工場で洗い、板状に加工される。外には、干し場もある。『食と建築土木』の世界でいえば、竹や木が鉄管になることはよくあるが、川茸は瓦に載せて板状にするので重量が増す。そのため、仮設物であった水田脇の干し場は、コンクリートの頑丈なものに更新された。仮設物の建築進化論的展開である。

川茸は、気候の変化で絶滅の危機に瀕している。全国の生産は2例、共に朝倉市にある。川茸の保護は急務である。まちの駅でもある遠藤金川堂は、川茸生産の物語を一望できる貴重な場である。川茸は、秋月の歴史的な町並を形成した資金源の一端でもあり、この場所を知ることは秋月の背景を知ることにもなる。そんな稀有な場所である。

 

 

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役
二村 悟 Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか 静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。 東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。 現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。 主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010
花野果 HANAYAKA https://tatemonoxxx.amebaownd.com/

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