生活文化創造都市推進事業

生活文化創造都市ジャーナル_vol.16 「ファッションタウン児島 ビジョン2001」発表から20年

児島商工会議所 顧問(前会頭)
髙田 幸雄氏

 

①ファッションタウン運動の始まり

平成7(1995)年に、会員数113名で児島商工会議所青年部が誕生し、40歳代を中心としたメンバーが一気に活動を開始した。一方で、被服縫製業を中心とした岡山県アパレル工業組合の青年部は、通産省の「新繊維ビジョン」の繊維産地振興政策「ファッションタウン」に着目し、岡山県アパレル産地ビジョンづくりのために活動を開始。平成8年11月に、商工会議所青年部(有志)とともに、北イタリアの繊維産業を視察した。平成9年2月には、岡山県アパレル産地ビジョンが完成し、誇りのもてる産地の創造を、地域づくり、文化づくりの関係で推進することの必要性を確認した。平成10年1月には、岡山県アパレル工業組合主催の「‘98岡山繊維産地フォーラム」が開催され、ものづくり、まちづくり、環境の三つの視点で分科会が設置され、ファッションタウンの布石が打たれた。

また、並行して、商工会議所青年部は、平成9年に「ファッションタウンサミット桐生」に参加。平成10年5月からは、自治会・市議・倉敷市・青年会議所・各種団体の皆様とともに「ファッションタウン構想」の勉強会を重ねた。10月には、児島商工会議所の常議員会において、「ファッションタウン構想」を児島のまちづくりの基本構想にすることを決議した。そして、平成11年4月に、商工会議所が中心となり「ファッションタウン児島推進協議会」を設立した。

 

②トライアスロン大会で、仲間づくり

ファッションタウン構想を推進するためには、「ビジョンが必要であり、ビジョンづくりのためには仲間が必要である。」との認識のもと、仲間づくりを目的に、トライアスロン大会の開催にチャレンジすることを決定した。イベント会社には一切頼らないなどの約束のもと、一枚岩の結束で取組を開始した。地域の熱い協力と応援をいただき、厳しい難題を一つひとつ克服し、平成11年8月に、夢にまで見た「第1回ファッションタウン児島 トライアスロン大会」を開催した。3500人のボランティアの協力で大会は大成功。ともに流した汗は、ファッションタウン構想への期待感へとつながっていった。(後に、オリンピックディスタンスの部で満足度日本一になる。)

 

③基本計画・ビジョン完成に向けて

日本ファッション協会の報告会、勉強会に商工会議所の有志が積極的に参加。その結果、日本ファッション協会からの平成11年度・12年度のビジョン作成予算が、倉敷市児島に決定した。私たちは早速ファッションタウンの提唱者である藤原肇氏にご指導をお願い申し上げ、本格的に取組を開始した。

平成12年1月、「みんなでつくる私たちのまち児島」を合言葉に、3万人アンケートと百数十団体に対するヒアリングを実施した。18000人の方から回答をいただき、4000人の方からフリーアンサーをいただいた。それらをもとに8月には「ビジョン(基本構想)」を発表、9月には児島文化センターで参加者600人で推進大会を開催。10月から翌年3月までの6カ月間、250名のメンバーは9つの分科会に分かれ、「ビジョン(基本構想)」で発表された基本計画(案)、事業計画(案)を再度練り直した。分科会は、月2回のペースで開催され、熱い楽しい時間を積み重ねていった。そして、平成13年4月に「ファッションタウン児島ビジョン2001」が完成した。

抽象的なあるべき論、行政への一方的なお願い、行政がやるべきことは一切なし。地域と行政が力を合わせてやるべきことのうち、やりたいこと、地域がやるべきことのうち、やりたいことをまとめたビジョンであった。市民・産業・行政が一体となって、「ものづくり」を中核におきながら「まちづくり」「くらしづくり」を同時に目指す、手作りの地域活性化の「実行計画書」が遂に完成した。

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(左から)「第1回ファッションタウン児島 トライアスロン大会」を開催/トライアスロン風景 スイム/トライアスロン風景 バイク/ファッションタウン運動の推進/ファッションタウン児島 基本構想/ファッションタウン児島ビジョン

 

④事業実現に向けて行動開始

商工会議所が新体制となった平成13(2001)年5月から、7事業委員会は「ものづくり世界都市」「キラリ輝く私たちのまち」「心ときめくくらし」の実現に向け、一斉に49事業の取組を開始した。平成13年には「MONOまちづくり全国交流大会2001児島大会」、平成14年には「ファッションタウンづくり全国大会2002児島大会」を開催。多くの先生方からいただいた貴重なコメントは、活動の指針と大きな励みになった。

平成16年は、日本で最初の国立公園・瀬戸内海国立公園指定70周年の年で、鷲羽山など児島地域にある7つの特別指定地域で各種記念事業を展開し、地域は大変盛り上がった。こうした活動が引き金となり、国の式典、環境シンポジウムが児島で開催されるに至った。この年に「鷲羽山の景観を考える会」、翌年には「王子が岳の景観を楽しむ会」が設立され、今日も産業観光の重要な拠点として活動を継続している。このように、児島のファッションタウン運動は、地域運動が先行する形で数年が経過した。

 

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鷲羽山から見る瀬戸大橋

 

⑤日本のジーンズ発祥の地、児島

平成17年、日本ファッション協会からの呼び掛けで、愛・地球博「クリエイティブ・ジャパン」に出展した。倉敷市の全面的な協力のもと、バス数台を連ね、多くの方々に参加・応援をいただき、万博会場から「日本のジーンズ発祥の地、児島」を大発信、全国から注目を浴びるようになった。その後は、中国製の激安ジーンズに苦戦を強いられるものの、児島独自の加工技術で、徐々に中小のジーンズメーカーが息を吹き返す中、平成21年、シャッター通りの商店街に、児島商工会議所とジーンズメーカー2社ではあったが、「児島ジーンズストリート推進協議会」を設立、新しい物語が始まった。織り、染め、加工にこだわった児島のジーンズは、各ブランドとも、人気が急上昇、全国・世界に発信を続けながら児島のジーンズは進化を続けていった。

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愛・地球博において「国産ジーンズ発祥の地、児島」を大発信

 

平成23年には、隣接するエリアに、倉敷市児島産業振興センター、児島市民交流センター(いずれも児島商工会議所が指定管理者)が、相次いでオープン。これにより長年目指してきた児島駅から産業振興センター、市民交流センター、児島ジーンズストリート、旧野﨑家住宅(国指定重要文化財)に至る児島の中心部の動線が色濃く見えるようになった。

昭和63(1988)年春の瀬戸大橋開通以来、春と秋の年2回、児島ボートレース場などで児島を代表するイベント「せんい児島瀬戸大橋まつり」を開催してきたが、平成24(2012)年からは春のまつりを「せんいのまち児島フェスティバル」と名称変更し、このエリア全域で開催してきた。児島の中心部は2日間で20万人の人々で賑わい、久々にかつての活気を取り戻すことができた。児島ジーンズストリートは今日では、店舗数も40店に達するなど、地方創生の成功事例として、全国から注目され、多くの視察をいただくに至っている。

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多くの人でにぎわう「せんい児島瀬戸大橋まつり」

 

⑥児島産地、丸ごとブランド化に向けて

「児島産地、丸ごとブランド化」を目指す中、平成22年には国民文化祭おかやま、瀬戸内国際芸術祭が相次いで開催された。文化の力を目の当たりにし、産業・歴史・文化・アートを同時に発信することの重要性を実感した。そして、平成24年、『古事記』編纂1300年の年を迎え、児島の繊維産業発展の物語「むかし児島は、島だった!」を大発信した。

「日本のジーンズ発祥の地、児島」は、日本最古の歴史書『古事記』の国生み神話の中で、日本で9番目の島として誕生した『吉備の児島』であり、江戸時代の初めに干拓で本州と陸続きになった。広大な干拓地には塩分に強い綿が栽培され、児島の繊維産業の始まりとなった。

「むかし児島は、島だった!」を児島の全戸、全校に配布。「知らなかった」「これはおもしろい」など、地域の反響は大きく、絶賛された。ちなみに『日本書紀』でも「吉備の児島」が登場、令和2(2020)年の『日本書紀』編纂1300年の年を目標に、9年計画で「児島産地、丸ごとブランド化を目指す」を宣言した。

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吉備の児島 古事記編纂1300年記念事業 「むかし児島は、島だった!」を発表

 

平成29年には、倉敷市の繊維産業発展の物語「一輪の綿花から始まる倉敷物語」が「日本遺産」に認定された。9年計画の終盤の山場である平成30年には、吉備の児島が本州と陸続きになって400年、瀬戸大橋開通30年、児島での学生服の生産開始100年、児島ジーンズストリート誕生10年を記念し、岡山県、倉敷市とともに実行委員会を組織し、数多くの新しい事業に取り組んだ。

 

⑦産業観光を楽しむまち、児島

倉敷市は繊維工業の製造品出荷額等が日本一の繊維のまちとして発展し続けており、その中心を担うのが繊維関連事業所が集積する児島地区である。(平成28年経済センサス)「売りに行く商売から、買いに来ていただく商売」「工場見学、職場体験、ショップの充実」の議論から始まった産業観光は、平成15年のジーンズミュージアムのオープンで、大きく動き出し、その後は、児島ジーンズストリート、ジーンズミュージアム&ヴィレッジで勢いを増し、今日では、学生服、帆布、畳縁、真田紐などと連携し、産業観光を強力に推進している。

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児島ジーンズストリート風景

 

平成26年、瀬戸内海国立公園指定80周年の年に、児島観光ガイド協会が設立され、平成27年には、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンに「日本のジーンズの都 児島、数々の建築技術を駆使した大事業 瀬戸大橋」が掲載された。瀬戸内海の観光が脚光を浴び、児島駅前の児島観光港も、にわかにクローズアップされ、鷲羽山スカイラインから見る水島コンビナートの夜景が、本年早々、日本夜景遺産に認定された。瀬戸大橋開通から30余年、この春からは念願の瀬戸大橋の通年ライトアップが実施される見通しとなった。観光と産業の相乗効果により、「産業観光を楽しむまち、児島」は、これからが本番だ。

「ファッションタウン児島ビジョン2001」の発表からちょうど20年、21世紀の初頭から令和の時代へと地域を取り巻く環境は大きく変化した。“元気な地域が元気な産業を育み、元気な産業が元気な地域を育む”好循環構造を再度確認し、しっかり機能させながら、「児島産地、丸ごとブランド化」「ものづくり世界都市」を実現したいと考えている。

写真提供:児島商工会議所

 

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