授賞案件

日本クリエイション大賞2008 授賞案件

日本クリエイション大賞2008 大賞

“隠れたクリエイティビティを開花させた40年の歩み”

ねむの木学園   宮城まり子 殿

ねむの木学園は「肢体に不自由を持ち、知恵に遅れを持ち、両親のない子、家庭での養育困難な子に生活教育を受けながら義務教育を」との趣旨で1968年に設立された日本初の肢体不自由児の為の養護施設である。当時、障害児は「就学猶予」の名の下に事実上義務教育を受られずにおり、それを知った宮城まり子氏が「そんなことはおかしい」と一人で立ち上げた学園である。

宮城氏は、障害を持つ全ての子どもたちの才能を信じ、その能力を引き出すべく、ここで個性の尊重と豊かな人間性を培うことを狙いとした、無学年制の開かれた教育体系を実践している。1年間で学ぶとされていることを、5年かけて学んでも10年かかって理解する子がいても構わない。学ぶことは人として当たり前の欲求であり、学ぶ喜びを知ることは、人が成長する上でとても大切なことである。また、感覚を集中させる事を身体で覚え、表現する喜びを経験してほしいと、絵 画や音楽、詩や作文、ダンス、そして茶道などを積極的に取り入れ、感性を育てることを重視した。

「こう描きなさい」との指導はせず、何かを美しいと感じたその感覚を心に刻むことを教えるのが宮城式。そうやって育まれた感性をベースに自由に描かれた作品は多くの人々に感動を与え、ねむの木学園の名前を世界に広めた。作品に対峙した際に作者の障害の有無は意味がなく、見る人はただただ強く心を揺さぶられる。ダンスを指導するのはプロのダンサー。体の線が見えるよう、生徒もサポートする教師も皆、レオタードを着用した本格的なレッスンである。体を動かすことが少なくなりがちな子らにとってダンスは身体機能のリハビリにもなる。音楽の授業では芸大声楽科卒の講師が下稽古を担当し、それを指揮でまとめていくのが宮城氏の正念場。コーラスのハーモニーは美しく、ピアノが弾ける子もいるという。ガラス工芸や織物の作品は、やさしい色合いに満ちており、また子どもらの中にはお茶でお客様をおもてなしできるほどの御点前を身につけている子もいる。このような子どもの中にある隠れた多様な能力を引き出す活動は、まさに人材育成におけるクリエイションである。

宮城氏が実践してきたことは決して特別な子どもたちだけに有効な、特殊なものではない。子ども一人ひとりを愛し、見つめ、その可能性を信じ、導くその姿勢は、本来、教育の基本であり、教育が国の最重要課題の一つとされる今の時代において、顕在化した、数値化できる能力の評価に終始しがちな現代の教育システムが学ぶべきものといえよう。

2007年には2館目の「ねむの木こども美術館」、通称“どんぐり”が開館。2009年5月には金沢21世紀美術館での美術展が開催予定である。学園が育んだ子どもたちの才能は、これからも多くの人々の心に深い感動とやさしい気持ちを届け続けることだろう。

 

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日本クリエイション大賞2008  明日へのメッセージ賞

“人々の思いを引き寄せよみがえった『明日の神話』”

(財)岡本太郎記念現代芸術振興財団 殿

2008年11月17日、岡本太郎氏の描いた壁画『明日の神話』が、渋谷駅の連絡通路に設置された。

原爆の炸裂する瞬間を描いた『明日の神話』は、縦5.5メー トル、横30メートルの巨大な作品。1968年から69年にかけてメキシコにて制作された後、行方がわからなくなっていたこの作品を、2003年9月に岡本太郎記念現代芸術振興財団理事長であった岡本敏子氏が見つけ出したのが、このプロジェクトの始まりである。少なからぬダメージを負い、変わり果てていたこの作品を次の時代に残し、多くの人に見せたいと思う岡本敏子氏の熱意により、壁画の再生に向けた取り組みが動き出した。

2004年に岡本太郎記念現代芸術振興財団内に再生プロジェクト事務局が発足。壁画の日本への移送、修復、そしてふさわしい場所への恒久設置までを目的とするこのプロジェクトに賛同する、日本を代表するクリエイターや文化人らによる再生のためのプライベートな応援団「太郎の船団」も結成された。

2005年4月の岡本敏子氏の急逝にもかかわらず、その意 志は引き継がれ、無事日本に移送され修復作業は始まった。 そして日本テレビがメディアパートナーとなり、また「ほぼ日刊イトイ新聞」のサポートでプロジェクトの公式サイトがスタートするなど、各方面からサポート活動が生まれ支援の輪が広がる中で、予定を遥かに上回るスピードで進んだ修復は2006年6月に完了。東京・汐留の日本テレビ前での完成 お披露目の展示には今まで岡本太郎を知らなかったという若者達が列をなし、改めてこの作品のパワーを見せつけることとなった。

最後の課題であった恒久設置については、いくつもの自治体、団体から招致の意向が表明される中、最終的に東京の渋谷が選ばれた。渋谷駅は無数の人々が行き交う都内有数の公共空間であり、多くの人を触発する可能性と高い情報発信性を備えていること、一丸となって「出迎えたい」との意思を表明してくれていることなど、すべての条件をバランスよく満たしていたからだ。地元の総意で組織された特定非営利活動法人「明日の神話保全継承機構」が今後責任を持ってこの絵を守っていくという。

こうして当初は目途も資金も方策も何もなく、ただ熱い思い だけでスタートしたプロジェクトが、作品の再生を願う人たちの無償の力をエンジンとしてあらゆる人々を巻き込み、単なる一芸術作品の補修という次元を超えたムーブメントとなり見事完遂した。  多くの若者が集う渋谷で、核にも負けない人間の尊厳を 謳う『明日の神話』は、時代を超えて人々に強いメッセージ を発信し続けるであろう。

 

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日本クリエイション大賞2008 エクセレントワーク賞

“傷ついた身体と心を支える製品づくり”

中村ブレイス株式会社 殿(島根県大田市)

中村ブレイス(株)は、石見銀山に近い島根県の過疎地域で1974年に創業以来、常に新しい技術を取り入れて、義手義足、装具、人工乳房等の医療用義肢装具を開発してきた。現在では世界約30カ国から注文が来るまでにいたっている。

義肢とは、ケガや病気などで手足を失った場合に用いる人工の手足のことであり、装具とは、病気やケガの治療のためや後遺症により失われた機能を代償するために用いられる用具である。

かつての義肢装具は機能性のみが重視され、利用者の快適性や心の傷までは配慮されていないものもあった。例えば義足と足の切断面が触れる部分には大きな力がかかり、小さな不具合でも痛みが生じるために、せっかく作った義足が使われずにしまわれてしまうこともあったという。そこで同社では、接触面が蒸れてかぶれたりしないように、通気性を持つ素材で義足のソケットを開発した。また、靴の底に敷いて痛みを和らげるインソール(足底板)にシリコーンゴムを使うことを考案、世界9カ国で特許を取得した。このシリコーンゴム製インソールは従来のものより快適性が格段に向上し、人気の定番商品となったことで同社の利益の源泉となった。

さらに同社では、肌の色や美的な感覚は不要とされてきた義肢装具の世界で、あえて美的で微妙なところにまで挑戦するため、1991年にメディカルアート研究所を設立した。ここでは、乳癌術後用の人工乳房「ビビファイ」や、身体のあらゆる部分の欠損や損傷を補正する「スキルナー」等、より美しく快適な義肢を開発し、身体の病気や欠損で心まで傷ついた人々の社会復帰やクオリティ・オブ・ライフの向上に貢献している。

シリコーンゴム製の人工の手や人工乳房のオーダーメイド品は、人によって微妙に異なる肌の色やくすみ、しわ、指紋、産毛までを再現するために、技術者が数週間から数ヶ月かけて一つ一つ丁寧に作っている。こうして作られた作品は、乳癌で乳房を失い生きる自信までも無くしていた人に、病気に向き合い頑張る勇気を与え、指が一本無いために、人前に出ることができなくなっていた人にこれまでどおり働き、人と接して生きていく希望をもたらした。中村氏のもとには、こうした人たちからの感謝の手紙が数多く舞い込んでいる。

中村ブレイスのブレイスとは“補装具”の意味であるが、“支える”という意味もある。同社は、作り出す製品によって傷ついた人々の身体と心を支え、また人口430人あまりの過疎地域で若者の雇用の場を作り、石見銀山の町並み再生や資料館の文化財整備などに尽力することで地域を支えている。

 

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日本クリエイション大賞2008 開発賞

“生鮮食品の常識を変える「CAS冷凍」”

株式会社アビー代表取締役社長 大和田哲男 殿 (千葉県我孫子市)

「CAS機能付急速凍結装置」は、急速凍結庫内部に発生させた微弱なエネルギーの組み合わせにより水分子を振動させ、凍結を抑えながら食材の表面温度と中心温度を均一に下げた後、食材全体を一気に凍結する。最適な凍結温度は食材により-20℃、-25℃、-30℃と様々で、例えばマグロは-55℃まで下げて凍らせる。CASは“Cells Alive System”の略で、「細胞が生きているような状態で保存、解凍したら生に戻すシステム」の意味で開発者である大和田氏が名づ けた。冷凍・解凍時に素材の細胞を破壊しないため、ドリップ(細胞が破壊されて流出する旨み成分を含んだ水分)が発生せず、限りなく生に近い状態に素材や料理を戻すことが可能となる。また酸化抑制機能により素材の品質劣化を防ぎ、長期保管を実現した。

大和田氏は1997年にこのシステムを開発して以来、改良を重ね、従来の冷凍食品で指摘されていた食感が悪い、冷凍臭が気になる、素材の色が悪くなるなどの問題を解決。近年、 世界的な食料不足が懸念される中、食料の廃棄や生産調整をなくし、自給率の向上と安定供給に貢献するものとして注 目されており、既に世界12カ国で稼動している。

自治体としてはじめて「CAS冷凍」を導入した島根県の隠岐諸島にある海士町では、これまで地理的ハンディのために島の中で消費するしかなった日本海の海の幸を旨味、食感、風味、色、香りまで獲れたての風味で流通させることが可能になった。こうして生まれた産業は、過疎化の進む島に新たな雇用の場を生み、第1次産業の再生と後継者育成へと広がりを見せている。

また従来、産地より商品の倍以上の氷を詰めて空輸するしかなかった海外の生の高級食材も、旬の時期に仕入れ現地で「CAS冷凍」することで、船便が可能になり、手軽な値段でその味を楽しむことができるようになった。東京・築地市場でもCAS冷凍庫を採用する中卸業者が増えており、主にマグロ、車エビなど高級食材の冷凍に使われている。

更に、「CAS冷凍」は若い時に抜いた親知らずを、20年 30年後に移植するために保存しておく「ティースバンク(歯の銀行)」(広島大学発ベンチャー)で使用され、また(独)医療基盤研究所霊長類医科学研究センター(茨城県つくば市)との共同研究で「卵巣を傷めず凍結保存」に成功するなど、今後、再生医療や臓器移植など、食品以外の様々な分野での活用が期待される。

「CASを使い農水産業の生産性を向上させ、それに従事 する人たちの年収を500万円以上にすること。そして過疎高齢化の進む町を若者と高齢者が共に働く町にする」という、大和田氏の夢が叶う日は、もうそこまで来ている。

 

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