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日本クリエイション大賞

2007年 授賞案件

日本クリエイション大賞2007 大賞

21世紀の新しいライフスタイルを創り出す世界的クリエイティブ集団

宮本 茂と任天堂開発チーム 殿

任天堂は1983年、今の家庭用ゲーム機の黎明期に、据え置き型「ファミリーコンピュータ」を発売し、世界に広めた。その後、携帯型「ゲームボーイ」、据え置き型「スーパーファミコン」などを経て、2004年に携帯型「ニンテンドーDS」を2006年には据え置き型「Wii」を世界中に提供した。

過去四半世紀、激しいゲーム競争の中で、任天堂は常に品揃えを絞り、シンプルでありながら、多くの人たちに支持されるユニークで魅力的な楽しい製品を作り続けてきた。 しかしながら一方で、ビデオゲームの性能の高度化が進み、よりリアルな世界が広がるなか、ゲームをしない人たちに「勉強の敵」「部屋に閉じこもり不健康」などのイメージを持たれ敵視されるようにもなっていった。

この様な状況の中で開発された「DS」は、簡単な操作と「ニンテンドッグス」や「脳を鍛える大人のDSトレーニング」等の新しい種類のソフトで、誰もが抵抗なく触われるものとなり、家族の世代間コミュニケーションを生み出しながら浸透。更に、続いて世に送り出された「Wii」は、本当にスポーツをする感覚で体を動かせる体感型ゲーム「Wii Sports」や健康をテーマにした「Wii Fit」により、家族の生活に溶け込み、家族の茶の間文化の復権をもたらしている。そして今まで一番ゲームをネガティブに考えていた多くの人々にゲームを超える新しい娯楽を提供し続けている。

この原動力となっているのが、任天堂におけるものづくりに対する基本姿勢である。一般的にクリエイティブなものづくりは、多くの人々の合議によって生まれるのではなく、非常に感性の優れた数少ない特別な個人から生まれる。宮本茂氏は正に、この優れた個人クリエイターであり、ゲーム業界における世界的なパイオニアである。タイム誌が選んだ2007年度の「The People Who Shape Our World」(私達の世界を形作る人々)100人の中のひとりとしても選ばれている。

任天堂は、宮本茂に代表される優れたクリエイティブな力の重要性を深く理解し、彼らの才能を商品として結実させることで数多くの創造性溢れる人々を発掘し続けている。 世界中の事業所を全部合わせても従業員数3,500人余りの京都の老舗企業が、今や世界で最も有名で優良な会社のひとつとなり、その開発チームが作り出す商品が21世紀の世界に、今までにない全く新しいライフスタイルを提供している。

日本クリエイション大賞2007 環境アート賞

彫刻作品「モエレ沼公園」とその価値を活かす公民協働体制

札幌市 殿

雄大な自然を有する北海道において人工造成により2005年にグランドオープンした「モエレ沼公園」は、芸術性の高い造形美で訪れる人を魅了して止まない。札幌市の要請により公園造成計画に参画したのは、彫刻家イサム・ノグチ氏。かねてより公園作りに強い関心を示していたノグチ氏は、189ヘクタールもの広大な敷地に大いなる創造意欲を掻き立てられ設計を担当し、美しいスロープが続く山や幾何学的なラインが特徴の文化交流施設、斬新なデザインの遊具、そして豊かな緑が重なり合うプランを構成。その優美なフォルムは、“大地への彫刻”と評される。

現在では、壮大で美しい景観が特徴のモエレ沼公園だが、実はその下には、ゴミの山が眠っている。1979年に、ゴミ埋め立て地としての使用が始まり、その後1982年から、ゴミの埋め立てと平行し、札幌市の緑化事業の一環としての公園造成事業がスタートした。埋め立て地という悪条件での公園造成には困難が多く、地盤沈下や排水不良、メタンガスの発生などの問題も生じたが、関係者の知恵で様々な対策を講じ、これらを解決していった。

ノグチ氏は、1988年に参画し精力的に設計プランをまとめたが、マスタープランが完成した翌月に急逝。基本設計のみを頼りに計画を遂行することは、容易ではない。そこで、イサム・ノグチ財団が監修を担い、マスタープラン製作に協力した建築設計事務所アーキテクトファイブが設計統括を行うという体制を確立、更にノグチ氏の仕事の進め方を知るランドスケープデザイナーや施設設計者等の協力を得て、同氏が描いた思いの忠実な具現化を果たした。土地の造成から23年もの永きに渡るプロジェクトを継続し、現在の姿に変貌させたのは、事業信念を貫いた札幌市の姿勢、また、ノグチ氏の遺志を引き継いだ多くの関係者の熱意に他ならない。

従来の総合公園とは一線を画し、世界に誇れる芸術性、文化性を兼ね備えるモエレ沼公園は、その独創性を評価し将来へ継承したいと願う市民により更なる展開をみせる。生活に息づく公園、子供の心を育む公園として活用されることを望み、「モエレ沼公園の活動を考える会」(通称「モエレ・ファン・クラブ」)が民間団体として2003年に発足。モエレ沼公園でのイベント開催や未来図を話し合うシンポジウムの実施を通して、広くその価値の普及に寄与している。

多くの関係者や市民の思いに支えられるモエレ沼公園は、これまでにない公民協働体制で一層の活性化を図り、その美しさを次代に伝えていくことだろう。

日本クリエイション大賞 地域文化振興賞

市民の手で受け継がれ続ける藩校「致道館」の精神

財団法人致道博物館 館長 酒井 忠久 殿

「く、んでしてをす。ばしからずや。・・・・・」毎月第2・第4土曜日の午前8時から40分間、小学4年生から中学3年生までの受講生20数名が、講師の指導のもと大きな声で「論語抄」を素読する声が致道博物館御隠殿に響く。

ここ山形県庄内地方の鶴岡市では、藩校「致道館」の教えが時代を超えて変わらぬ学びの精神として受け継がれ、さまざまな活動が市民自らの手で長年行われ続けている。

「致道館」は庄内藩の士風の刷新と優れた人材の育成を目的に、1805年酒井家9代藩主・公が創設した藩校。徂徠学を教学とし、生まれつきの個性に応じその才能を伸ばすことを基本に、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじた。その教育方針は、当地の教育的風土を形づくったといわれている。東北地方に唯一残る藩校建造物で、1951年には国の史跡となった。

この「致道館」の教学は、廃藩置県により廃校となった後は旧庄内藩主邸で、また1950年に酒井家第16代氏によって設立された「致道博物館」で続けられ、その精神は旧制中学の生徒を対象にした「少年会」の活動、それを前身とする市民を対象とした論語などの勉強会である「中国古典講座」、そして「少年少女古典素読教室」として今に受け継がれている。近年は、致道館の伝統文化・精神を新たにし、その普及継承、庄内学の振興を図ることを趣旨として、地元有志が1996年に設立した「致道館文化振興会議」により、「致道館」での論語の勉強会や素読体験会、論語の一節を題材とした論語書道展が行われている。昨年6月には第6回藩校サミットが開催され、全国各地より大勢の人々が集った。

酒井家の御用屋敷跡地に作られた「致道博物館」は、庄内地方の考古・歴史・民俗・美術等を展示しているだけでなく、庄内の文化を伝承する場であり、その設立・運営は、酒井家と、庄内文化を大切に思い次世代に引き継ごうという約6,500人の友の会会員の存在があってはじめて成り立つ。

また、旧庄内藩士が明治維新後に刀を鍬に替え開墾した松ケ岡地区は、酒井家第18代氏が中心となりその大蚕室を「松ケ岡開墾記念館」として蘇らせたことで、1989年に松ヶ岡開墾場として国の史跡に指定された。こうして守られた松ケ岡は日本の美しい原風景として、藤沢周平原作「山桜」(2008年5月公開予定)など既に5本の日本映画がこの地で撮影されるに至っている。

郷土を慈しみ、その文化・風土を大切に守る気風が人々に広く深く根付いており、その文化・風土と一体となって致道館教育が絶えることなく受け継がれている。

日本クリエイション大賞2007 海外賞

紫斑蝶の幽谷を守る、一生をかけた取り組み

ザン・ジャロン 殿

「紫斑蝶」は、タテハチョウ科マダラチョウ亜科ルリマダラ属(Euploea)の蝶の台湾名で、マサキルリマダラ、ツマムラサキマダラ、ホリシャルリマダラ、マルバネルリマダラなどの数種が含まれる。生活圏内のあちこちで見ることのできるこの蝶は、越冬のため11月に約100万匹が台湾北中部から南部の高雄県や台東県の谷に移動して集団をつくり、3月中旬から4月初旬にかけて中北部へ大移動する。蝶の大規模な渡りの例としては、北米に生息するオオカバマダラ、日本のアサギマダラが良く知られているが、台湾ではこの紫斑蝶の集団越冬と春秋の移動が知られており、しかしながらその詳しい生態は謎のままであった。

詹家龍氏は、紫斑蝶について「人々の身近な存在であるこの蝶が生きていけない環境にもしなったとすれば、それはその地の自然生態が人間が生きていけないような重大な危機に陥っていることを意味する」と考え、その保護と研究活動に取り組んでいる。

詹氏はまず紫斑蝶の生息地の住民らにその意義を説き、「高雄茂林紫蝶幽谷保育協会」を設立し、生態エリアの確保に取り組んだ。また自ら理事を務める台湾胡蝶保育学会の支持を得て、台湾各地の環境保護団体と連動し、延べ7,000人のボランティアが台湾各地で、8万匹を超える紫斑蝶の羽に捕まえた日付と地点をマーキングして再び放すという活動を行った。その結果2004年4月、ついに「蝶道」が確認され、ルリマダラ類の貴重な生態を解明することとなった。

この紫斑蝶の大集団は、地形の関係から毎年、南部の雲林県林内郷で高速道路上を通過し、その際に車にぶつかり死ぬ蝶が少なくないことが判明すると、詹氏ら、台湾蝴蝶保育学会は政府に蝶の保護を要請。その情熱は政府を動かし、2007年3月末に台湾交通部(交通省)高速公路局は、“「蝶道」を通る紫斑蝶の邪魔をしないため”という理由から、国道3号林内の外側車線を時間制限を設け封鎖する措置を実施した。台湾において蝶の保護のために車の通行を制限するのは初めてのことで、世界でも珍しい試みである。このニュースは台湾内の数多くのメディアに取り上げられ大きな反響を呼び、人々の多くが「政府の判断に感動」、「台湾の文化素養は向上した」、「誇りに思う」等この措置を肯定して受け止めた。さらに自然との共生や、環境保護の重要さについて、深く意識するきっかけとなった。

詹氏は今、ボランティアによるシーズン毎の案内や解説により紫斑蝶を知ってもらうことから始め、蝶を愛し、環境を守ろうという全国的な運動の準備を進めている。そして、谷いっぱいの紫斑蝶が微かな音を響かせ空中を飛び回る美しい情景が将来に亘り守られ、世界中の人々にこの感動を体験してもらえることを願っている。

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