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日本クリエイション大賞

2012年 授賞案件

大賞

「世界でもっとも美しい書店20」のひとつとして日本で唯一選ばれた代官山 蔦屋書店

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 
代表取締役社長兼CEO 増田宗昭 殿

日本クリエイション賞

過去と未来をつなぐ、東京駅の復元

東京駅 殿

片足麻痺でもこげる“魔法の車いす”を製品化

株式会社TESS 殿

次代を拓く建築文化を世界に発信し続ける

くまもとアートポリス 殿

桜並木で津波の到達ラインを後世に伝える

特定非営利活動法人 桜ライン311 殿

2012年度選考について

「日本クリエイション大賞」となってから9回目の開催となります今年度は、事務局推薦も含め、121件の案件が寄せられました。それらは運営委員により一旦整理され、10月と11月、さらに年明けの1月の3回にわたって開催された選考委員会において審議されました。
 ジャンルを問わず、クリエイティブな視野で生活文化の向上に貢献し、次代を切り拓いた人物や事象を表彰の対象とする本賞に対し、今年度は、東京スカイツリーや東京駅の復元を支える技術をはじめとした、さまざまな分野の日本の高い技術に関連する案件や、日本の文化を世界に発信する活動、25年、30年といった長期にわたって継続されている活動など多様な取り組みが寄せられました。また、東日本大震災からの復興に関連する案件では、経済面ばかりでなく、文化や芸術による精神的な復興を促そうとする取り組みもありました。
 それらの候補案件に対し、どこにクリエイションがあるのか、何がクリエイティブなのかについて審議され、多様な分野で豊かな学識と経験を持つ選考委員による大激論の末、大賞1件と、今年度から名称が「日本クリエイション賞」に統一された各賞4件が選ばれました。いずれも次代につながるクリエイション・ワークであることが、評価のポイントとなりました。


表彰式の模様はこちらから

 

「日本クリエイション大賞」

「世界でもっとも美しい書店20」のひとつとして
日本で唯一選ばれた代官山蔦屋書店

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社
代表取締役社長兼CEO 増田 宗昭 殿

 1983年、大阪府枚方市の京阪電鉄枚方市南口に蔦屋書店枚方店がオープンした。書籍とビデオとレコードを揃え、販売とレンタルを行うという業態の店である。現在、約1400店を数える「マルチ・パッケージ・ストア」TSUTAYAの第一号店である。
 30年後、TSUTAYAは映画・音楽を気軽に楽しめる場所の代名詞となり、日本最大の本屋にもなった。そして、TSUTAYAの会員証だったカードはTカードとなり、その会員数は約4300万人にも及ぶ。特に20歳代の三人に二人以上がTカードの会員だ。大企業グループでも成し得なかったこの大事業は、たったひとりのクリエイティブな人間によって達成された。カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)株式会社代表取締役社長兼CEO増田宗昭氏がその人である。
 CCCは「生活提案をする企画会社」であり、TSUTAYAやTカードはCCCの代表作である。蔦屋書店を中心とする代官山T-SITEは、CCCが達成してきた多くの企画の、ひとつの集大成である。
著しく進化し続ける情報通信技術によって、人はタブレット端末で本を読み、生活に必要なものを殆ど全て手にいれることができる時代に、「いま、『書店』に何ができるのか?」「そこを訪れる人々に『書店』でしかできないことは何か?」という問いに対するCCCの答えが代官山 蔦屋書店である。
 「群衆」を見ることのない落ち着いた街代官山で、書店や専門店街などを創っても、誰も来ないのではないか、という周囲からの懐疑的な声の中で、増田氏は「誰も来ないかもしれないのなら、せめて誰かひとりに来てもらえればいい。その誰かひとりが、毎日来てくれる。そんなものを、代官山に創ろう。そしてそれは『店』ではなく『家』だろう。『家』であれば、そこには訪れて来てくれるゲストがいて、そのゲストをもてなすホストがいる」という基本コンセプトに至る。ゲストと心を通じ合わせる事ができる『コンシェルジュ』が、この書店には必要不可欠なものだという考えになる。
 そのコンシェルジュ達から、「森の中の図書館」「メディアとしての書店」「滞在型書店」「誰にでも受けるものは『誰にも訴えかけない』」「『本物』を追求する意思、『成熟』を志向する情熱」等、さまざまなコンセプトが生まれる。
代官山 蔦屋書店のもうひとつの特徴は、それがプレミアエイジのための空間として構想されている点にある。50代以上のクリエイティブなセンスを持ち、カルチュアを積極的に自分の生活に取り入れ、自分の知性や感性を磨くことでより豊かな日常を創り上げていこうとする人々をプレミアエイジと定義している。
「世界でもっとも美しい書店20」※のひとつとして、日本で唯一選ばれた代官山 蔦屋書店は、大人にとって興味深いテーマに特化した専門書店の小さな空間が連続的に展開される。文学、人文、クルマ、料理、旅、アート、建築、インテリア…。そして、映画、音楽。ここでは、それぞれのプロフェッショナルたちがそのテーマの真の魅力を表現する方法を、日々模索している。
 サイバー空間が益々増えていくインターネット社会において、居心地の良いリアル空間は今まで以上に人々を魅了し、その空間の中で人を魅了するのは、やはり人なのだ。このシンプルな事実を見事に実現したのが代官山 蔦屋書店である。経済成長がなくなり、高齢化が著しく進む日本社会において、大人にとっての本当に豊かで幸せな生活とは何か?より多くのプレミアエイジが豊かな時間を過ごせるヒントが代官山 蔦屋書店の生活提案の中に溢れている。

 

(選評:河原敏文選考委員) ※米ポップカルチャーサイト「Flavorwire」が選定

 

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「世界でもっとも美しい書店20」に選ばれた
代官山 蔦屋書店

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世界の情報が集結した
全長55mのマガジンストリート

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カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社
代表取締役社長兼CEO 増田宗昭氏

 
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国内外の貴重な本や雑誌を読みながら、
珈琲・お酒・お食事が楽しめるラウンジ“Anjin”

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お探しの商品やご提案を行うコンシェルジュが
お客様をお迎えします

「日本クリエイション賞」

過去と未来をつなぐ、東京駅の復元

東京駅 殿

 2012年10月1日、東京駅丸の内駅舎は約100年前の創建当時の姿へと甦った。改札を出ると多くの人々が、復活したドームを見上げ、繊細なレリーフに目を凝らす。当時の素材や色合いを再現したという赤レンガに手を触れてみる。ライトアップされた姿も美しく、写真を撮る人が絶えることがない。大正期に設計されたヒューマンスケールの空間は訪れる人に何とも言えない心地よさを感じさせる。開業以来、日本の近代化の歴史を刻んだ、東京の玄関として人気を集め、強力な集客効果を発揮している。
 1914年に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により中央停車場として設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。1923年の関東大震災にもびくともしなかった駅舎だったが、1945年、東京大空襲を受けて、南北のドームと屋根・内装を焼失した。華麗なドームは焼け落ち、空が見える状態だった。1947年、物資の不足する中で、応急措置として、3階建ての駅舎を2階建てにし、ドームを八角屋根に変えて復旧した。
 それから60年以上にわたり、東京駅は、日本の中心で、戦後復興、高度経済成長、バブル経済とその崩壊を眺め続けてきた。機能性や効率性が優先される時代の風潮の中で、何度も建て替えが構想された。
 1987年4月、国鉄が分割民営化された。時はおりしも、バブル経済の真っただ中。最高の立地にある東京駅を高層ビル化する計画が浮上したが、市民などによる赤レンガ駅舎の保存運動も立ち上がった。1999年に東京都とJR東日本との合意により赤レンガ駅舎が復元されることが決まり、2003年には駅舎が国の重要文化財に指定された。市民の手によって各地で繰り広げられてきた歴史的建造物の保存運動の一つの成果であり、象徴的な出来事だった。
 JR東日本は、東京駅上空の空中権を売却するなどして資金を捻出し、約500億円を投じ、2007年から5年の年月をかけ、創建当時の姿を甦らせた。復元にあたっては、数少ない写真や文献などをもとにドーム内の彫刻やレリーフなど細部を忠実に再現した。漆喰や擬石塗等の左官、銅板葺等の板金の特殊技能を持つ一流の職人たちが全国から集められた。失われつつある古い技術に現代の技術を採り入れて、これらの技術を次の世代につないだ。
 耐震基準などない時代に作られた東京駅だったが、太い松の杭約1万本を地下に埋め込んで駅舎を支えてきた。掘り返してみると100年前の丸太にもかかわらず腐ることなく駅を支え続けてきたことがわかった。今回の工事では、乗降客数76万人、乗換客も含めると毎日百数十万人が駅を利用しながら、地下では総延長335m、総重量7万tの駅舎を“仮受け”して施工するという、前代未聞のスケールの耐震改修工事が進められた。古い技術は新しい技術へと置き換わった。中央部の屋根に使われる天然スレートの産地、宮城県の登米市、石巻市は東日本大震災で被災した。出荷の直前で、全て破損したと思われたが、奇跡的に残ったスレートを洗浄して使用し、東京と被災地をつなぐ東北復興のシンボルともなった。
 赤レンガ駅舎の復元は、経済優先の社会の中で日本や東京が失ってきたものが何であったかを私たちに気づかせてくれた。歴史や文化を感じさせる魅力的な空間として生まれ変わった東京駅は過去と未来をつなぎ、次の100年へと新たな歩みを始めた。

 

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駅舎の南北両端にあるドーム天井のレリーフも復元された

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“東京の玄関”ともなる堂々たる赤レンガ駅舎が蘇った

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復元されたドームの屋根には、
東日本大震災で被災した宮城県で作られた
天然スレートが使用されている

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1914年、開業当初の東京駅

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3階に入った東京ステーションホテルのロイヤルスイートルーム

片足麻痺でもこげる“魔法の車いす”を製品化

株式会社TESS 殿(宮城県仙台市)

 麻痺した足が動く!自分の足で車いすをこいで、移動することができる!歩行が困難になった人々に驚きと喜びを与えているのが、自身の足でペダルをこぎ、自由に走り回ることができる最先端のチェアサイクル「Profhand(プロファンド)」だ。
 足が麻痺しているのに、足でこぐという矛盾に、誰もが最初は疑問を抱くが、半身麻痺の患者が実際に乗ったその瞬間から、思いもかけない速さで車いすをこぎ出し、自由に走り回る姿に目を見張る。しかもこの車いすに乗ってこぎ続けることによって、足だけでなく他の部分にも筋力がつき、日常の動作がスムーズにできるようになるというのだから、まさしく“魔法の車いす”である。
 この車いすを世に送り出したのは、東北大学発、研究開発型ベンチャー企業の株式会社TESS。東北大学大学院医学系研究科の半田康延客員教授のグループが開発した「ニューロモジュレーション(神経調節)技術」を活用して、製品化した。
 半田教授のグループが開発したのは、麻痺した両足の筋肉に皮膚表面からコンピュータ制御の電気刺激を与えて足こぎ運動を起こさせるもので、複雑な配線や電源の安定供給という課題もあったが、何よりも80キロという重さが製品化の妨げになっていた。
 研究室に眠っていたこの車いすを偶然目にしたのが、医療機器の営業マンだった鈴木堅之氏。これがあれば、電気刺激がなくても片足麻痺の患者が自力で移動できるという半田教授の研究成果に深く感銘を受け、この車いすの実用化と普及を目指して2008年にTESSを設立する。
 全国の車いすメーカーや自転車メーカー約50社に、実用化に向けた協力を依頼するが、ことごとく断られたという。最後に残ったのが、パラリンピックのトップアスリートが使う車いすの開発で知られる、千葉市の株式会社オーエックスエンジニアリング。同社の協力を得て、重さわずか12キロというコンパクトで、家の中でも外でもスムーズに操作できる足こぎ車いす「Profhand」が出来あがった。明るい色で、スポーティなデザインも魅力的な車いすである。
 鈴木氏は、大学の研究者による発明を、生活者が求めている「もの」として実用化するのに必要な「コンセプト」を確立し、それを技術者に提示することによって、製品化をコーディネーションしたのだ。
 2009年から販売を開始。量産に当たっては、東京で偶然Profhandを目撃し、台湾に量産会社を立ち上げてくれた陳子堅氏の協力も得られた。
 鈴木氏は研究者ではない。TESSには、車いすを開発する技術も生産する工場もない。販売チャネルも持っていない。しかし、優れた発明を製品化するにあたって、機能面だけでなく、生活者が何を求めているかを把握し、それを表現し、製作会社に的確に依頼することで、使いやすい「製品」をつくることができた。そこにクリエイションがある。
 Profhandは、まさしく鈴木氏のクリエイションがなければ生まれなかった製品だ。麻痺した足でもこげる車いすは、多くの高齢者や障害者の新しい足となり、生活の質を高めていくに違いない。

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スポーティなデザインも魅力的なチェアサイクル「Profhand(プロファンド)

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「Profhand」で熱心にリハビリに励む

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「Profhand」のユーザーと談笑する
鈴木堅之氏

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開発初期段階の足こぎ車いす(右)と「Profhand」(左)

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半田康延客員教授(左)を囲んで

 

次代を拓く建築文化を世界に発信し続ける

くまもとアートポリス 殿(熊本県)

 全国どこに行っても画一的になったと言われる日本の街並み。1988年、これに果敢に挑戦し、「熊本らしい田園文化圏の創造」を目指して始まった熊本県の事業「くまもとアートポリス」。当時の細川護熙知事が、コミッショナーに磯崎新氏を迎えてスタートし、第1号プロジェクトとなった「熊本北警察署」はその個性的なデザインが、大きな話題となった。
 その後、事業は、福島譲二、潮谷義子、現在の蒲島郁夫まで4代の知事に受け継がれ、コミッショナーも磯崎氏から高橋靗一氏と継承されて、現在の伊東豊雄氏で3代目となる。
 自治体の事業が、25年間、四半世紀の長きにわたって知事4代に継承されてきたこと自体が、非常に稀有な例と言えよう。しかも常に時代にあった“新しい”建築の在り方を世に問い続けてきている。
 これができたのは、設計者の自由な意思を活かすために「コミッショナー制度」を取り入れたことが大きい。建築家の選定がコミッショナーに一任されることによって、「後世に残り得る文化的資産を創る」というコンセプトがぶれることなく引継がれてきた。
 現在までに88のプロジェクトが推進され、そのうち77の施設が県下各地に完成している(2012年12月現在)。博物館、橋、団地、学校、保育園、公衆トイレ、公園、交番など、プロジェクトは多岐にわたり、国内外のさまざまな賞を受賞した建築物も多い。
 3人のコミッショナーは、それぞれ独自のテーマを設定し事業を推進してきた。磯崎氏がコミッショナーだった第1期は「都市にデザインを、田園にアイデアを」をテーマに、最先端の現代建築を熊本に実現し、斬新なデザインを評価した。
 第2期の高橋氏は、住民との対話の必要性を重視し、「地域と対話、地球とネットワーク」をテーマに、ワークショップを通じて、建築家と発注者、利用者が意見を出し合い、十分なコミュニケーションを通して建造物をつくる新たなシステムを確立した。
 第3期の現在は、伊東コミッショナーの下、3人のアドバイザーを選任し、「学びつつ創る、創りつつ育む」をテーマに、次代を担う若手建築家を育成することをも目指して事業を展開している。
 これまでに完成した施設は、国際交流基金による海外巡回展において、日本を代表する文化の一つとして紹介されるなど、国内だけでなく海外からも高く評価され、アジアを中心に、行政関係者、大学、マスコミなど毎年多くの視察者を集めている。国内では一般客を対象にアートポリスを巡るツアーが企画され、熊本城、阿蘇などと並ぶ観光資源としても認識されるようになってきた。
 25年前、「熊本らしい田園文化の創造」を目指して始まった本事業は、熊本内外から次々に若い、次代を切り拓く建築家を輩出し、育て、熊本を世界に向けた最先端の建築文化発信地とする、世界にも類のないクリエイティブなシステムとなった。

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No.1プロジェクト 熊本北警察署(第1期)
ⓒ石丸 捷一

 

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No.59プロジェクト 熊本県立農業大学校学生寮(第2期)

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No.78プロジェクト
宇土市立宇土小学校(第3期)

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ドイツ ケルンで開催された国際交流基金による海外巡回展

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くまもとアートポリス人材育成事業
「みんなの家」(仙台市)

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歴代コミッショナー 左から磯崎新氏、高橋靗一氏、伊東豊雄氏

 

桜並木で津波の到達ラインを後世に伝える

特定非営利活動法人 桜ライン311 殿 (岩手県陸前高田市)

 2011年3月11日の東日本大震災では、地震による被害もさることながら、津波による甚大な被害を被った。東北地方の太平洋沿岸一帯が津波に飲みこまれ、多くの人命が失われた。
 もしも、震災前から10mを超える大津波の可能性が広く認識されていたら、と、だれしもが考えたに違いない。もしも津波の到達ラインより少しでも早く高台に逃げることができたら、もしも津波の到達ラインより低いところに住まいや学校が、いやそもそも町がなかったらと。
 大震災後、1000年前に今回と同規模の津波が、三陸沿岸を飲みこんだ記録や痕跡があったという知らせは、よけいに人々をやりきれなくさせた。
 その中で、今回の津波の到達ラインを桜並木でつなぎ、なんとか後世に伝えようと始まったプロジェクトが「桜ライン311」である。岩手県陸前高田市内の津波の到達ライン約170kmにわたって、10mおきに桜を植樹し、ラインに沿った桜並木をつくることで、後世の人々にその並木より上に避難することを伝承していこうという試みである。170kmにわたって10mごとに桜を植えていくには、単純計算で1万7000本の桜が必要となる。
 2011年10月、陸前高田市内の青年団体を中心に「桜ライン311実行委員会」が設立され、11月6日に高田町の浄土寺で、初めての植樹がおこなわれた。
 その後、全国からボランティアや寄付、桜の苗木を募り、植付地の募集も行って、震災から1年経った2012年3月11日の植樹の際には、400名を超えるボランティアが参加し、市内10カ所に82本の桜を植えた。2011年秋の植樹と、2012年の2月から3月にかけて行われた春の植樹で76カ所に259本の桜が植えられた。
 桜の植付は、植栽後の適応を促すため、葉がすべて落ちる季節に限られ、夏の間や雪に覆われる冬には行うことができない。津波の到達ラインに植えるため、多くが斜面など険しい土地で植栽自体が容易ではない。桜の品種は、塩害に強い品種、冷害に強い品種、病虫害に強い品種が選ばれ、植付地の土地所有者の理解と協力も欠かせない。植樹を始めて1年経った2012年11月の植樹会までに植えられた桜は、市内108か所、約400本にのぼるが、170kmにわたる桜並木が完成するまでには、まだまだ長い年月が必要となる。それでも、震災を風化させまいという人々の熱意は、一本一本の桜に込められ、引き継がれていくことだろう。
 実行委員会は、2012年5月、これからの長い活動に備えようと、「特定非営利活動法人桜ライン311」となった。東京や名古屋で活動報告会も行い、支援を広く呼び掛けている。
 50年後、100年後、170km、1万7000本の桜並木に人々が集い、花見を楽しむとともに、この並木の意味を語り継いでいってくれることを願う、壮大な時間軸の中で展開されているクリエイションである。

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植樹後、既に開花した桜も

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一本一本想いを込めて植えられる桜の苗
Photo by Kei Sato

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熱心に植付方法を聞くボランティアの皆さん Photo by Kei Sato

 
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運営会議の様子

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「桜ライン311プロジェクト応援マップ」より
©Mapion ©Hokkaido-chizu ©2012 ZENRIN CO.,LTD. (平25-0201)

 

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